黄粱の夢 ♪

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「夢だから、なお生きたいのです。あの夢のさめたように、この夢もさめる時が来るでしょう。その時が来るまでの間、私は真に生きたと云えるほど生きたいのです。あなたはそう思いませんか。」
 (芥川龍之介「黄粱夢」)

こんにちは( ´ ▽ ` )なおみです。

昨日お能の鑑賞に行ってきました。
大濠公園能楽堂で、朝9時半から一日中さまざまな番組をされていて、好きな番組からでもそーっと入場できるのでいいなぁと思いました。

その中で、気になった番組をひとつ。
「邯鄲(かんたん)」。
お能の「邯鄲」は、「邯鄲の枕」という故事を元に作られた演目。歌舞伎にも本歌取りしたものがあります。

物語は、
中国の盧生という若者が故郷を離れ、趙の都の邯鄲に赴きます。廬生はそこで呂翁という道士(日本でいう仙人)に出会い自らの人生の不平を語ります。するとその道士は夢が叶うという枕を廬生に授け、廬生はその枕を使って、みるみる出世し栄旺栄華を極め、四季は瞬く間に過ぎて行きます。やがてすべてが消えて、ふと目覚めると、実は最初に呂翁という道士に出会った当日で、寝る前に火に掛けた栗粥がまだ煮揚がってさえいませんでした。(実は黄粱とは栗のことなんです。 ご飯が炊ける前だったのか! 笑)全ては夢であり束の間の出来事だったのです。
廬生は枕元に居た呂翁に「人生の栄枯盛衰全てを見ました。先生は私の欲を払ってくださった」と丁寧に礼を言い、故郷へ帰って行きます。

…いわゆる夢オチというやつ。
夢にまつわるお話は、結構多いけど、これ本歌。

邯鄲て、虫のお話かと思ってましたが、わたしの勘違いですね。

ところでその中国故事に出てくる道士・呂翁にあたる役が、日本のお能では宿屋の女主人に変わっていて、舞も、女性の方が舞われていたのが意外でした。
てっきり盧生役は男性が舞うのかと思った(笑)
舞台上に設えられた簡素な<宮>。その宮が、最初は宿屋の寝台を表していて、そこから舞がはじまります。
舞手の女性が、舞台を一巡すると今度は宮殿の玉座を表したりと、 場面はくるくるとさまざまに変化し、本当にあっという間に終わってしまいます。
お能って、なんだかわたしは、「祇園精舎の鐘の声〜」の平家物語の冒頭にもあるような、
「人の業と儚さ」を感じます。まさに春の夢のごとし。
しかし、心の動きを表現するって、一番難しくて一番面白い。

他の演目にも、上村松園さんの「序の舞」を思わせる場面がありました。
夢から覚めた夢とか、物語やミュージカルもいいですね。
あぁ、「邯鄲」のように、
一炊の夢を絵画で、
表現できたらとつくづくと思う今日この頃です。。

私は結構夢をみるのが好きなんですが、皆様はどうですか?

今日はどんな夢をみましたか?

夢は違目とも言われて、自分の世界観とは異なる世界を知るきっかけにもなります。
みなさんの夢にまつわるお話、聞きたいなぁ(^-^)(といいつつ、怖くないお話でお願いします)

きっと
ひとことでは語れないですね。

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